青空観測
 
 いつものように僕はドアをノックした。古びた木製の扉は鈍い音を立てる。木目を見ているとどうも人の横顔に見えてしまうから小さい頃はこのドアが苦手だった。
「どうぞ。」
 やぼったそうな声が中から返事を返す、僕はドアノブを回して部屋に入った。
「こんにちは〜……。」
 部屋の中には書籍が散らかっていたり、ところどころには丸まった紙屑が捨ててあったり、まるでゴミ屋敷だった。とはいえ、さすがにカサカサ這いまわる虫や、チューチューなく哺乳類はいない。それもこれも僕が毎日掃除をしているおかげだ。
「博士……可燃物と不燃物くらいは分別しておいてくださいよ。」
 無造作に投げ込まれただけのごみ箱を覗いて小言を漏らしても、机に向って必死で小難しい計算をしている博士の耳には届かなかった。…届いてはいるのだろうが無視しているのだろう、そんな人物だというのは僕が一番知っている。
 エプロンを引き出しから取り出して装備し、目の前にそびえるゴミの山と戦いを開始した。一日で汚せるんだからある意味博士は天才だと思う。
「また何も食べずに計算しているんですか?体壊しますよ?」
「ん。」
 博士は何かを始めると外界を遮断してしまう癖があった。そのせいで親戚には煙たがれている。そんな性格のために彼女いない歴は年齢と同じだった。
 確か今年で35だったような気がする。
「コーヒー…」
 博士は僕のことを小間使いにしか思っていないらしい。少しは感謝してほしいものである。
「今日は砂糖いくつ?」
「…………。」
 無言のときは入れなくてよいという意思表示だというのはもうとっくにわかっている。
「あれぇ…?コーヒー豆もうないよ。」
 空っぽになった瓶を博士に見せると、急に博士は立ち上がり、着ていた白衣を脱ぎ捨てて壁にかかっていたコートを着て部屋を後にした。コーヒー豆は絶対に譲らない部分があるらしく、どこで売っているのかも教えてくれない。
 掃除もあらかた終わっていたので、手持無沙汰になった僕は、いすに腰掛けて近くに置かれていた天文学の本を読み始めた。タイトルは「降着円盤とその周囲の空間の歪曲」というわからない人が聞いたら頭に「?」が沸くであろう名前だった。
 
 小さい頃から僕は博士の部屋に出入りしていた。博士の話はいつもおもしろくて、遠い宇宙や地球の成り立ちや太陽系の話を何度も何度もしてくれた。そのたびに僕は宇宙に思いを馳せた。なにより、宇宙の話をするときの博士の顔は輝いていた。
 博士と呼んではいるが、続柄的には僕の叔父にあたる。
有名な理系の大学を卒業して、天文台の研究員として優遇されるはずだったのだが、博士はその話をけった。理由はわからない。それから親戚たちには煙たがられるようになった。
しかし、僕の父は実の弟をほったらかしにできないので、たまに姪である僕をこうして使いに出して面倒をみさせている。僕としてはいい迷惑だ。
博士はたまに依頼を受ける理系雑誌の原稿料で生活しているので、案外お金には困っていなかった。
 
 「電気つけたらどうだ?そんなだから目が悪くなるんだぞ、このめがねっこ。」
 いつの間にか夜になっており、部屋のなかは真っ暗だった。帰ってきた博士は食料品の袋を抱えていた。
「博士、おかえりなさい。」
 どうやら僕は本を読んでいる途中で寝てしまったらしい。体中が痛い。
「はは、ただいま、かわいいメイドさん。」
 博士は表裏の激しい性格だ。研究に没頭していなければ、明るくて面倒見のいい人である。
「エプロン着けてるだけだからメイドではないですよ。」
「それもそうだな。夕飯食べてくか?」
 僕は掃除は得意だが、他の家事はてんでだめだった。家庭科の成績はあまり良くない。
「メニューはなんですか?」
「敬語やめろよ。親戚なんだからもっと砕けた言い方でいいんだぞ?」
「父の言いつけですから。」
 僕の父は考え方がいちいち古い、絵に描いたような亭主関白なのもうなずける。僕の一人称もいちいち注意してくる。
「俺特製スパッゲッティーノ」
 やはり天才と呼ばれる人はなんでもできるのだろうか?博士の料理はかなりおいしい。
 僕は後ろで博士の料理テクニックを盗もうと博士を凝視していた。
「料理は習うより慣れろさ。邪魔だからあっちいってなさい。」
 博士はパスタの束を鍋に入れながら、もう片方の腕で僕をあしらった。
 
 居間のテーブルの上に置かれているものを片付けながら、ふとあるものに目がとまった。
「……?」
 原稿用紙には一行の文字が書かれているだけだった。
『青空の星』
意味はさっぱりわからなかったし、他に関係していそうなものは何も見つからなかった。青空に星?
「こら、めがねっこ。勝手に人の研究を覗かない。」
 二つの皿を両手に持った博士はまじめな表情で僕を睨みつけた。
「ごめんなさい。」
 皿を置きながら博士は原稿用紙を取り上げた。できたスパゲッティはおいしそうなにおいを立てていた。ただのミートソースなのだが博士のスパゲッティはなんだかいつもおいしい。
「博士、その青空の星ってなんですか?」
 粉チーズを振りかけながら博士は部屋の隅に置かれた望遠鏡を指さした。
「天体観測さ。これ以上は秘密。」
 そう言うと博士はフォークでクルクルと巻きながらスパゲッティをおいしそうに食べた。博士の食事の行儀はいいほうだ。
「どうしためがねっこ?食べないのか?ダイエット中か?」
 僕はクラスの中では軽いほうだ。
「失礼な。メガネが曇るんですよ。」
「外せばいい、こんな近距離ならなくても平気だろ。」
「それと博士、めがねっこっていうのやめてください。僕にはちゃんと名前があるんですから。」
 僕の名前は神崎 藍という名前がある。あおって名前は父がつけたらしいが思うところは知らないし、よく「あい」と間違えられるのであまり好きではない。
「めがねっこをめがねっこと呼んで何が悪い。お前だって俺のこと博士って呼ぶじゃないか。」
 博士の本名は神崎 学。僕の父は駿。兄弟で性格が全く違うのも名前の所為かも知れない。神崎家のしきたりで名前は必ず一文字にしなくてはいけないらしい。実際、僕の姉も翠という名前だ。
「博士は博士だから博士なんでしょう?だから博士を博士と呼んで何が悪いんです?」
「その理屈っぽいとこは兄さんそっくりだな。」
 僕はメガネをはずしてスパゲッティを食べた。やはりおいしい…。
 
 その後、夕食の後片付けをして僕は家に帰った。
はっきり言えば、僕は博士に憧れ以上の何かしらの感情をいだいている…博士が好きでたまらない。だけど、自分の性格上そんなことを打ち明けられない。
ずっとこのままでいられればいい。それがささやかな願い。
でも、なんだか近いうちに博士と離れ離れになってしまう気がする。僕の気のせいで済めばいいんだけど…
 
青空観測to be co
 
 
 
inserted by FC2 system