朝、毎日風は俺より早く起きて俺の顔を覗き込んでいる。起こすわけではない、ただ覗き込んでいるだけだ。髪の毛が顔にかかってくすぐったくてしょうがない。
 その後俺は朝飯を作って二人分の弁当を作る。出来合いものばかりだが、コンビニ飯よりはましだし、安く上がる。バイトがある日は風の晩御飯もつくっていく。
 身支度を整えて学校へと向かう。
「じゃあいってくる。」
「わかった。」
 いってらっしゃいって言ってほしいところだが、……ま、いいか。
 そして、学校が終わったらコロッケを買って帰る。
「ただいま。」
「うん。」
 おかえりなさいとかいってほしいところだが……ま、いい。買ってきたコロッケを風に手渡す。
「ありがと。」
 受け取るなりもしゃもしゃと食べる。少しは感謝しろ。
「なんかあったか?」
「ない。」
 晩御飯を食べ終わったら風呂に入るのだが、最近は風が先に入る。……俺の家なのに。
しかも脱衣所で脱ぐことをなかなか覚えてくれない。
「だから脱衣所で脱げって言っている!!!」
「そう?わかった。」
 絶対わかってない。
 そんな生活が一週間続いた日、俺はまたしても非日常に巻き込まれた。俺にはよからぬ運命でも絡みついているのだろうか?
 
 せっかくの日曜だというのに空はどんよりとしている。風のセーラー服をクリーニング屋にとりに行った帰りに出くわした。
 風と出会った公園の前を通り過ぎようとした時だ。
「君。そこの君。」
 中年……というよりは俺より少々年上ぐらいの男に話しかけられた。スーツを着ていてみためはサラリーマンと言った感じだ。
「俺か?……だろうな。あんた……俺はあんたを知っているぞ。」
 風の持っていた黒い本に貼ってあった写真に写っていた人物。……風がオトウサンと呼ぶ人物。
「そう。話をしないか、風味君。」
「なんで俺の名前を知っているんだ?」
「立ち話もなんだ、座ろうじゃないか。」
 公園に入りベンチに腰掛ける。なんだか明らかに虫がくっついていそうなベンチだが我慢する。
「で、話ってなんだ?風のことか。」
 男は前かがみの姿勢になると俺を見ずに話を始めた。
「あの子は私が作った……人であって人でないもの。」
 男は指をパキポキ鳴らしながら話している。
「それよりも君に言っておくことがある。」
「なんだ?」
 男はそう言うと背広の内側から一冊の白い本を取り出した。相当な時間を過ぎているらしいその本は一目で傷んでいるというのがわかる。
「これを渡されたのでね。」
「誰から?」
「君のお父様からだよ。」
「俺の親父を知っているのか?」
「知っているもなにも……彼は私の師匠だからね。永遠の命の研究のね。」
 男は白い本を懐かしそうに眺めている。
「彼からすべてを学んだ。私にとって彼は人生の師であり超えるべき存在だった。」
「そんなことは俺に関係ない。親父にその本を渡されたんだろ?」
「人の話は最後まで聞くべきだと思うが?」
 もっともな意見に俺の口はふさがれた。
「彼を超えるには人の命を創造するよりほかになかった。彼は最後まで命を創造することはできなかった。だからそれを私が行い、彼を超える。」
「歪んでるよ。あんた。」
 男はさも滑稽だといった感じで笑い始める。
「それができてしまった以上、私は彼を超えたんだ。」
「風のことか。」
 俺の心の中には怒りと言ってもいい感情が渦を巻いている。
「あんたの勝手な自己満足で風を作って、あんたを慕わせ、一人ぼっちにした。あんたはつくづく度し難い人間だよ。」
 男は急に悲しげな表情になり目に涙を浮かべている。
「話は最後まで聞くべきだと言ったはずだ……私だって、風を愛している。だが、それは許されないことなんだよ。私が作らなければ彼女は寂しい思いをせずに済んだのだから。」
「……だったらなおさら一緒にいるべきじゃないのか?風なら俺の家にいるぞ。」
「……いや、もう風は私に依存するべきじゃない。だからこれからは君が風のそばにいてやってくれ。とんだ子不孝ものだな私は。」
男の頬を涙が伝った。
「この本は君にあげよう。彼の研究書だが、最後の一ページには違うことが書かれている。それを渡すのが私の最後の役目。以上が私の言いたいことさ。」
 白い本を手渡すと男は公園の出口に向かって歩いて行った。
「おいあんたどこへ……あれ?」
 男は掻き消えたかのように姿を消した。風のように。
 
「ただいま。」
「おかえり。」
 ん?
「どうしたの?」
「いや……なんでもないさ。なにか変ったことあったか?」
「ない。」
 風は俺の顔をじぃっと見つめている。
「あ、ほら。おまえのセーラー服クリーニングから取ってきたぞ。」
「そう?」
「風は……オトウサンに会いたいか?」
「うん。……でも、今は風味がいるから寂しくない。」
「そうか。」
 俺は座布団に座り白い本を読み始めた。専門的な言葉や数式、異国の言葉で書かれておりそのほとんどは理解できなかった。問題は一番最後のページだ。
『私は多くに謝らなくてはいけない。今まで殺めたヒトたち、置き去りにしてきた家族、そして何より自分に。いまさら謝罪したところで罪は贖えないだろう。しかし、謝らせてもらう、なによりそうしなければいけない気がするのだ。すまなかった。
 そして我が息子、風味にこの言葉を残す。いつまでも吹きつづける風のように流れて行け、時には優しく、時には冷たくヒトと一緒に歩む風であれ。
――父さんを許してくれ。』
 ……ふざけんなよ。さんざん自分勝手しておいて謝るだけか?戻ってこいよバカ親父。母さんは最後まであんたの帰りを待っていたんだ。もちろん俺もだ。
 許せ?許さない。絶対に。
「風味……どうしたの?」
 風が不安そうな顔をしてこっちを見ている。どうやら俺は泣いていたらしい。
「悲しいの?」
「ん……どうなんだろうな?嬉しいのかもな。」
「?」
「ま、いいさ。ところで風はこれからどうしたいんだ?オトウサンを探すのか?」
 風は下を向いて何か悩んでいる。
「なんだったら……ずっといてもいいんだぞ?俺も……そっちのほうが……。」
 ははは……自分でも何言っているんだ?
「わかった。いる。」
「……オトウサンはいいのか?」
「うん。オトウサンも好きだけど、風味も好きだから。」
「じゃあ、俺たちはずっと一緒だな。もう一人ぼっちじゃない。」
「うん。」
 そのとき初めて風が笑った。こんな顔をして笑うんだな……。
 もう風が作られたとか人間じゃないとかそんなのはどうでもいい。風は一人ぼっちで俺も一人ぼっちだということ。お互いの寂しさを埋め合わせられるのはお互いしかいないはずだ。
 
「なぁ、風。もしも俺達が出会わなければ……お互いどうなってたんだろな。」
 土手の草をむしりながら銀髪の少女は答えた。
「わからない。会っちゃったから。」
「……必然なのか?」
「偶然かも。」
「そうだな。そんなもんか。」
 少女の腹の虫が鳴いた。
「おなかすいた。」
「昼飯にするか?なにがいい?」
「やきそば。」
「ほんと好きだな……ま、いいけどな。」
 土手の上をふたりが歩いて行く。空は晴れてさわやかな風がどこまでも吹き抜けていった。
 
 fin
 
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