歪 
 
いつのころから存在していたのかは記憶にないが、確かに言えるのは「それ」は俺が生まれる前から存在している。
 …いや、「それ」という表現は失礼だな。「彼女」と表現したほうがふさわしいだろう。俺もそっちのほうがいい。
 「彼女」は俺の家の祖父が使っていた部屋にいる。祖父はすでに故人となっているが、祖母が祖父を偲んで部屋はそのままにしてあるらしい。まめに祖母が掃除をするために部屋に埃の堆積している記憶はない。そこでいつも微笑んでいる。
 なぜ「彼女」がそこにいるのかを家族に聞いたことがあるが、誰も「彼女」がどうやった経緯でそこに至ったのかを知る者は無かった。祖父ならあるいは知っているのかもしれないが、死人に口なし。
 「彼女」がなぜそこにいるとか、どうしてそこにいるとかなんてどうでもいい。俺にとっては「彼女」がそこにいるという事実、それだけが重要だ。
 若草色に百合の花の描かれた着物をきて、長い黒髪を風になびかせ、手を少し上げてこちらを見て微笑んでいる。
 「彼女」の名前はわからない。俺はただ「彼女」とだけ呼んでいる。まぁ…名前なんてどうでもいい。「彼女」が微笑んでいる事実は変わらない。
 「彼女」は俺を見ていつも微笑んでくれている。その笑みを見るたびに俺は明日を生きる活力を見いだせた。
 
 俺が「彼女」に出会ったのは小学校五年生の時だ。
 それまで両親に立ち入りを禁じられていた祖父の部屋にこっそり忍び込んだときだ。様々な骨董品が並んでおり、祖父の部屋は時間が止まっているような雰囲気。その空間で「彼女」はひとりで微笑んでいた。
 俺は彼女を見た瞬間に心を奪われた。その日は母が見つけにくるまで「彼女」の前に座り込み、「彼女」と話をしていた。「彼女」はほほ笑みながら俺の話を聞いてくれた。
 それから、事あるごとに「彼女」と話をした。学校のことや友達のこと、自分のことや天気のこと……いろいろな話をした。それだけで満足だった。「彼女」は何も言わなかったが、それでいい。
 中学、高校と学校から帰ってきたら真っ先に「彼女」と話をした。
「ただいま、今日はいろいろあったんだ…」
 それを毎日。一日の報告をして夕ご飯まで「彼女」を見て過ごす。その時間は何物にも代えがたいものだった。
 
 そんなある日、祖母が急逝した。もともと祖母はがんを病んでおり、入退院を繰り返していた。「何で急に」というよりは、「あぁやっぱり」という感情が多い。しかし、さすがに家族の死は悲しい。
 祖母の葬式の際、「彼女」と話をしているときにドアの外から聞こえてきた両親の会話に俺の心は凍った。
「母さんも逝ってしまったし、父さんの部屋を片付けてもいいんじゃないか?」
「そうね、骨董品は全部処分してしまいましょう。」
 それでは「彼女」はどうなってしまう?俺はどうすればいいんだ。なんとしてでも「彼女」を守る。それが俺にできること。
 まず、「彼女」を連れ出そうとしたけれども、「彼女」はそこから離れたくないらしく、俺がいくらがんばっても無理だった。
 両親に処分するのをやめてもらいたかったが、この関係を知られたくはない。
 時間がない。早く手を打たねば………なんだ。簡単じゃないか。早速今日の夜に実行しよう。
 
 深夜、時計は十二時を過ぎている。俺は「彼女」と二人きりでいた。
「大変だったよ。キミを失いたくないんだ俺は。」
 そっと彼女にふれる。彼女の頬は赤く染まった。俺の手についていた血のせいか?それから俺は「彼女」に口づけをした。「彼女」はやはり微笑んでいる。よかった。
 家の外が騒がしいな…サイレンの音まで聞こえる。急に玄関が開いて警官が俺を取り押さえた。俺が何をした?俺は「彼女」を守っただけだ。
 いやだ…放さないでくれ。俺と「彼女」を放さないでくれ。待て!せめて「彼女」にお別れを……
 
 翌日の新聞記事の一面。
19歳少年両親を刺殺。原因は不明。少年には精神鑑定が必要。
 
歪fin
 
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