オトシモノ
四月二十日。
空が青い。桜も大体散ってしまって、枝の間から見る空は青かった。
好きで空を見ているわけじゃない。俺は今、仰向けに寝そべっているが、これも好きでやってるわけではない。
「…ってぇな。」
後頭部がズキズキと痛むが、そんなに騒ぐほどじゃない。カバンがクッションになったおかげで重傷は免れたのだろうか?まぁ転んだだけで致命傷を負うなんてことは生きているうちに一回あるかないかである。
公園の中は閑散としており、俺が転んだ一部始終を見ている人はいないはずだ。恥をかかずに済んで助かった。
上体を起こし立ち上がろうとした時だった。
「クスクス…。」
どうやら俺は見られていたらしい、鉄パイプを気付かずに踏みつけ、そのまま仰向けに倒れた姿を見られていたということだ。
笑い声のしたほうを向く、桜の木の下に置かれたベンチに女が一人座っていた。白いワンピースの上に水色…いや、空色と言ったほうがいいか…のカーディガンを羽織っていた。女の背中まで伸びた黒髪が風になびく。正直言って美人だった。
俺は跳ね起きるように立ち上がり、一目散に走り出した。…恥ずかしすぎる。
四月二十一日。
俺は昨日起きたことをすっかり忘れていた。
いつもの通りに学校が終わったあと、近道をしようと公園に入って少し歩いた場所。
「のぁっ!!」
急に足もとが不安定になったかと思った次の瞬間には、また青空を見ていた。
あぁ…二日連続でこけるなんてな。…っつうか誰か鉄パイプ片づけろよ。
「…ってぇな。」
昨日と同じセリフを吐きながら立ちあがる。
「…クスクス。」
昨日と同じ場所に同じ格好をした女が座っていた。やっぱり何度見ても美人だ。
「キミ…昨日も転んでたよね?わざと?」
話かけられ俺は多少なりとも緊張する。
「そんなわけない。というより注意してくれてもいいんじゃないか?」
俺の進行ルートに鉄パイプが転がっており、どう見ても危険な光景なのに何も言わないこの女はふてぶてしいと思った。
「ごめんなさい。私、ずぅっと本読んでたから…。」
女は一冊の文庫本を手にしていた。
「キミが転んだ音がするまできづかなかったの。ずいぶん変な顔してたよ。」
女はまたもクスクスと笑いだした。
「そもそも、ぼぉっとしているキミも悪いと思うよ?」
悔しいが一理ある。
「それより、大丈夫なの?頭。」
「痛い…けどそんなでもない。」
女は本を開くとまた読み始めた。
「それなら平気だね。お大事に。」
俺は手持無沙汰になり、家へと帰った。
大事なことを忘れていたのに全く気付かなかったのは何故か全くわからなかった。
四月二十二日。
春の日差しが暖かく感じる。ちょっと早めに授業が終わったのでいつもよりは若干早い家路についた。
いつもの道を通る途中。……またやらかした。
「あぁっ!!くそっ!!」
痛さを通り越して怒りが込み上げてきた。誰に対するものではない、自分自身と、いつまでもほったらかしにされている鉄パイプにである。
「やっぱりわざとだ。」
あの女が今日も同じ格好をして座っている。
「あんたも人が悪い。昨日の一部始終を見ていて鉄パイプを片付けようとは思わなかったのか?」
「なにかしら意味があってそこに転がってるのかもよ、それ。それにキミが足元に注意してればいいだけの話じゃない?」
…返す言葉が見つからない。のそりと俺は立ち上がった。
「なぁ、あんた毎日そこで本読んでるみたいだけど……なんか理由でもあるのか?」
なんでこんなことを言ったのか俺にもわからない。
「ん〜。キミがそこで転ぶのと同じ理由かな。」
女の興味が俺から本に移ったのを確認して俺は家に帰った。もちろんまたやらかすのを知ってか知らずか、鉄パイプを片付けるのを忘れていた。
四月二十三日。
鬱々とした空からは俺を鬱にするものが降ってきていた。傘を忘れた俺は少しでも早く家に帰ろうとまたしても同じ道を全力に近いスピードで走っていた。
そんでもって、またしてもやらかした。人には学習能力があるはずなのに四日連続で転んだのだった。
地面はぬかるんでおり俺は泥だらけになった。泣きたくなるね。
「あ、やっぱり転んでる。大丈夫?」
あの女が今度は傘を差して俺の顔を覗き込んでいた。
「自分のみじめさに泣きたくなるね。…それより、見えてるぞ。」
女は急に顔を赤くして半歩下がった。
「えっち!!」
泥だらけの俺は立ち上がって女のほうを向いた。女の手にはもう一本の傘とスーパーの袋が握られていた。
「ほら、傘貸してあげるから。」
「これだけぐちゃぐちゃなんだ。いまさら傘なんていらないよ。」
「そう?でも貸してあげる。気をつけてね。」
俺に無理やり傘を押し付けると女はパタパタと走って行った。
今日こそは鉄パイプを片付けようと……なぜ思わなかったんだろうか不思議で仕方がなかった。
四月二十四日。
昨日の鬱々な空とは打って変わって、清々しい晴れだった。週末ということもあり俺は浮かれながら家への道を歩いていた。…鼻歌歌いながら。
「ふふんふふんーだーだーだーはおっくせんまん…っと。」
後はいつもの通り派手にやらかした。
「ねぇキミ。なんでいっつも転んでんの?」
やっぱりあの女はいつもの場所にいた。
「わかんね。誰かが片付けるまでだな、これを。」
地面に転がっている鉄パイプを指さして言った。
「自分で片付ければいいじゃない。」
「めんどい。」
二人して笑った。
「キミ…さ。運命とか信じる?」
女は急にまじめな声になった。
「いい運命だけ信じることにしている。…なんでいきなりそんな話を?」
「んと、ね。その…。ん、なんでもない。」
余計気になる。
「あ、私帰んないと。じゃあね。」
女は俺の脇を通って走って行った。すれ違いざまとてもいいにおいがした。
俺にはもう鉄パイプを片付ける気はなかった。
四月二十五日。
本来ならば休みであるはずだが、生活物資が足りなくなってきたのでまとめ買いをしに町に出かけたついでに公園に寄ってみることにした。
…あの女に会うのが、すでに日課になっていた。
公園はいつもどおり、人の気配がなかった。遊歩道には散っていった桜の花びらが変色して溜まっている。見慣れた道である。
「……?」
違和感を感じた。いつもならあるはずのあれが無かったのだ。
地面をどんなに探してもあれは見当たらなかった。遊歩道のわきも、茂みの中も探してみたがどこにもなかった。
俺はなんとも言えない絶望感に襲われた。
四月二十六日。
太陽がいい加減にしろという感じで窓から俺を起こそうとしていた。
昨日、俺はあのあと暗くなるまで鉄パイプを探した。それこそ公園の隅から隅まで。
だが見つからないものは見つからなかった。
家に帰ってきた俺は不貞寝をした。そして今に至る。
「………十一時か。」
ケータイのサブディスプレイを見ながらつぶやいた。
もう、なにもする気が起きなかった。
四月二十七日。
俺はかなり暗い顔をしていたと思う。学校でだれに話かけられても生返事、授業中は外を見てばかり、口から出るのはため息ばかり。
家へと帰る道には鉄パイプは無く、あの女もいなかった。
もう日記をつける気もしない。
五月十五日。少し間が空きすぎたかな?
なんとなく最近避けていた公園を久々に通ってみた。ずいぶん桜の葉は量をまし、木陰で公園は薄暗くなっていた。
ぼぉっと上を見ながら歩いていたそんな時だった。急に俺の世界は反転した。
「うわぁっ!!」
派手に転び、俺は後頭部をしこたま地面にぶつけた。いてぇなんてレベルではない。運悪く俺を転ばせた拍子に地面の石に頭をぶつけ、そこからは大量に血が流れていた。
「だ…だれか…たすけ…。」
ここで俺の意識はいったん切れた。
次に目を覚ました時には病院のベッドの上だった。頭には包帯が巻かれており、まだ多少傷んだ。
「あ、起きた。危ないところだったんだよ?」
空色のカーディガンが目にはいった。もう五月だってのに…
「リンゴ食べる?」
女はリンゴを剥いていたらしく、シャクシャクと音を立てて食べ始めた。
「俺のために剥いたんじゃないのかよ。」
「食べたかっただけだもん。…食べたいなら自分で取ってね。」
俺はなんだか満たされた感じを覚えた。
「そう言えば、傘返してなかったな。今度もってくるよ。」
女はリンゴを食べるのに夢中のようだ。
「どこに?」
「あの公園。」
「うん。わかった。」
俺は女に向って二言呟いた。その言葉を聞いた女はただ一言、
「うん。」
とだけ言った。
六月二日。久しぶりだな、日記つけるのも。
退院した俺は早速公園に向かった。
そのあとは……
言わなくてもわかるだろ?
オトシモノfin