三日目
ぽたり、ぽたりと俺の顔に何か液体のようなものが垂れるような感触に目を覚ます。
 その液体を手でぬぐって寝ぼけた目で確認してみる……赤い、まごうこと無き血だった。
「っ!?」
 驚きで飛び起きた瞬間、額をしこたま何かにぶつけた。
「痛ぇ!!」
 俺の顔をのぞきこんでいた風に激突した。風のやつ……痛くないのか?
「おはよう。」
 そう言う風の鼻からは血が出ている。俺とぶつかったときか?
「お前、鼻血でてるじゃないか。どうしたんだ?」
「わからない。起きたら出てた。」
 しれっとした顔で腹の虫を鳴かせながら、鼻血を垂らしている。
「ティッシュでも詰めとけ!服とか床とか血まみれじゃねえか!!」
 風が寝まき代わりにしている俺のお古のTシャツは真っ赤だった。フローリングもかなりの血で赤くなっていた。
「おなかすいた。」
「その前に着換えろ。床も拭け!」
「ぐー。」
「ぐーじゃねえ!!」
 風は雑巾を渡すとしぶしぶ床をふき始めた。
 
 さて、今日の朝飯だが、昨日買いこんでおいたおかげでまともなモノが作れそうだ。ハムエッグとしゃれこもうじゃないか。
「風味、お洗濯しとく?」
「珍しいな、お前が家事をしようだなんて。」
「ワタシ、居候。これぐらいしないとだめ。」
 こいつ、自覚あったのか。むげに断るのもなんだしやらせてみるか。
「おぅ、頼む。……洗剤と服いれて、スイッチ押すだけだ。余計なことするなよ?」
「そう。」
 風はこくりと頷くとてくてくと風呂場へ歩いて行った。しばらくしてゴゥンゴゥンという洗濯機の音がし始めた。たぶんに大丈夫だろう。
 俺はそう考えている間に二人分の目玉……もとい、卵を焼いた。ハムを買い忘れたので今日はただのエッグだ!
「おぉい!風。飯だぞぉ!」
 なぜだか風呂場から戻ってこない風を呼ぶ。それでも戻ってこないどころか、返事すらしない。俺は業を煮やして様子を見に行った。
「お前!何で裸なんだよ!!」
 全裸で洗濯機をじーっと見つめる風に俺は驚いた。なにも今着ている服までぶちこむことはないだろ。
「ご飯。」
「ふ、服を着ろ!!」
 俺はTシャツを投げつける。
「風味のえっち。」
「お前がそんな恰好をしているからだろうが!!っていうか俺は何もしてねえ!!」
「風味、朝からうるさい。」
「誰のせいだ!誰の!!」
「いいからご飯食べよう?」
「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
 ……ま、それはともかく、風ってスタイルいいよなぁ。……俺、何考えてんだよ。
 
 相変わらず風は飯を食うか本を読むかテレビを見るかしかしてくれない。家事を手伝うのは俺に言われた時しかない。
「風、今日は何したい?」
 二連休なのでのんびりしよう。外はあいにくの天気だしな。
「ゲーム。」
「そうだなぁ。最近やってないな。」
 いくら貧乏学生とは言え、ゲーム機くらいは持っている。最近の忙しさで風とゲームするのはだいぶ久しぶりだ。
「負けたら。言うことなんでも聞く。」
「罰ゲームか。」
「そう。」
「俺は年頃の男だぞ?そんなこと言ったらどうなるか……わかっているのかな風ちゃん。」
 もちろん本心で言っているわけではない。風にそう言った感情を抱いたことはない。家族をそう言う目で見る方がどうかしている。
「罰は罰。」
「おいおい……。」
「それにワタシが負けると決まってない。」
 風の目に一瞬炎が見えた。こいつ、勝つ気で居やがる。……いいだろう、十六連鎖の俺の名前は伊達じゃないってこと教えてやる。
 
 ……とか、いばってみたものの、風はめちゃくちゃ強かった。こいつ、俺がいない時にこっそりやってやがったな。
「ワタシの勝ち。風味弱い。」
「うるせぇ。わかったよ!俺の負けだよ!なんなりと言いやがれ!!」
「じゃあ、目閉じる。」
 俺はどきりとした。この展開はもしや!?……と思った瞬間にデコピンを食らった。
「ぐなっはぁぁぁ!!」
 その威力や尋常じゃなく、頭蓋骨が割れたかと思うくらいだった。いてぇ、まじでいてぇ!!
「罰ゲーム。やーい。」
 からかっているようだが無表情なので余計に馬鹿にされた気がする。
「血が出てきた……。」
「やりすぎた?」
「加減しろよ、少しは。」
「本気でやったら風味死んでる。」
 あれで加減してたのかよ。
「けほけほ……。」
 風がせき込む。どうしたんだ?
「風邪でも引いたか?」
「頭痛い。」
「風邪だな。風が風邪をひいてちゃシャレにならんな。……いつからだ?」
「朝から。」
 朝夕は冷えるのに裸で洗濯機眺めてればまぁ、そうなる。
「大丈夫か?風邪薬……あったかな?」
 俺は健康第一をモットーにしているので全くと言っていいほど風邪をひかない。最後に熱を出したのは何年前だろうか?
 救急箱(代わりにしている箱)を探ってみても風邪薬のかの字も見つからなかった。
「けほけほ……じゅる。」
「鼻水出てるじゃないか。かめよ。」
「どうやって?」
 こいつ鼻かんだこともないのか。それ以前に風邪引いたことあるのか?
「ない。ずゅる。」
「汚いなぁ。こうやって鼻から思いっきり息を吐けばいいんだよ。」
「ぶー。」
 顔面べとべとだぞ。
「寒いけど、暑い。」
 風邪って発症するとすぐに症状が重くなるからな……こうなると、市販の感冒薬では太刀打ちできない。あぁいう薬は風邪引く前に飲まないと効果がないとお袋に聞いたことがある。
「苦しい。」
 無表情で言うからいま一つ緊迫感に欠けるが、目の前で壁に寄りかかり、顔を余計に白くし、ハァハァと辛そうな呼吸をしている風は見てて気の毒だ。
「蒲団まで運んでやりたいけどな……。しょうがない、俺の布団で寝てろ。」
「風味の布団臭い。」
「なんとでも言えよ。」
 風はロフトに布団を敷いて、そこで寝ている。もともと使っていなかったから別に困っていない。
「あったかくしてろ。ほら、これ着てろ。」
 俺のジャージを放ってやると、それをもそもそときこんだ。
「風味臭い。」
「しまいにゃ殴るぞ。」
「でも、あったかい。」
 俺の布団にもそもそと入り込み、すぐにすぅすぅと寝息を立て始めた。
 こうして見ていると、本当の妹のような気分になってくる。「おにいちゃん」と俺のことを呼び、事あるごとに絡んできて、俺のエロ本を見つけて赤面する……。そういう世界もあるのだろうな……。
 さて、こうしちゃいられないな。気休めになるだろうから風邪薬を買ってきて……あと、栄養剤と、ねぎでも買ってくるか。
 
 買い物は数分で終わった。ねぎは結構安かった。……俺はねぎ嫌いだけどな。
「ただいまぁ〜……のわぁ!!」
 玄関をあけてびっくりした。入ってすぐの所に風が倒れていて、ハァハァ言っていたのだ。
「風!どうしたんだ!!?」
 虫の羽音よりも小さく、風は荒い呼吸の中からぽつりぽつりと単語を出した。
「風味……いなかった……ひとりぼっち……。探しに行こうと……けほけほ。」
 書き置きをしなかったことを激しく後悔した。
「馬鹿だなぁ……俺の帰ってくる場所はここしかないんだ。お前は待ってればいいんだよ。……どこかへ行く時はお前も一緒だよ。」
「すぅすぅ……。」
「聞いてないし。」
 急に恥ずかしくなる。俺、すんごく恥ずかしいこと言ってたな。
 布団に風を寝かせて、額に濡れたタオルを置いてやる。
 ねぎ……買ってきたのはいいけど、どう使うんだこれ?漠然と「風邪にはねぎ!」と聞いたことがあるだけで、さっぱりわからん。確か、けつの穴にさすとかなんとか?……さすがにそれはねぇよ。まぁ、放っておけば風が勝手に食うだろ。
 俺の布団で寝息を立てる風を見ているうちにいつの間にか、俺は眠ってしまった。
 
「よぉ。」
「久し振りだな。」
「だな。」
「どうだ?最近。」
「どうなんだろうな。お前は?」
「まぁまぁだよ。」
「そうか。」
「そうだ。」
「……。」
「……。」
 
 しゃりしゃりという音で目が覚める。変な体制で寝ていたせいで体が痛い。
「お前……風邪は?」
 ねぎをまるかじりしている風に話しかける。
「ちょっと、ぽーっとする。」
 そう言われてみると目がちょっとうつろだ。……いつもこんな目だったような気もするけど。
  時計を見てみると、まだ夜の七時だ。だいぶ時間が過ぎたような気がするけど……ふむ、晩御飯をなににするかなんて考えていない。
「ねぎ……おいしくない。」
 そう言いながらも風はねぎをかじり続けている。やはり腹が減っているのだろう。
「いいから寝てろ。病人はおとなしくしてるものだ。」
「ねぎ。」
「そんなにねぎ食いたいのか?」
「おなかへった。」
「まってろ、今何か作るから。」
 と、いったものの、風邪引きなんだから栄養のあるものでなおかつ消化にいいものなんて、思いつかない。卵入りのおじや?卵は今朝に全部食ってしまった。……正確に言うと食われた。
 俺はちゃんととっておいたのだが、風が全部茹でて食ってしまった。コレステロールがどうなっても俺の知ったところではない。
「はぁ……。」
 ぶつぶつ考えている間に作ったおじやを風の前に運ぶ。むくりと起き上った風はぽーっとした眼付きで俺のもってきたおじやを見つめている。
「熱いから気をつけろよ?」
「ねぎ。」
「……おまえ、その言葉が気にいったんだろ?」
「正解。拍手。」
 風がぱちぱちと手をたたいた。
「いいから、覚めないうちに食え。何も食わないと本当に何もできなくなるぞ。」
 俺に促され、風はレンゲをもっておじやを食べ始める。味はついてないけどしょうがない。
「味、ついていなくてすまないな。」
「いい。おいしい。」
 もくもくと食べ続ける風、こいつの苦手な食べ物といったら肉くらいだしな。
「ごちそうさま。」
「……もう全部食べたのか。」
 ものの数分で煮えたぎったおじやを食いつくした。
「熱くなかったか?」
「大丈夫。」
 汗ばんだ顔で俺を見る目にはまだ元気がない……。いつも病人みたいな顔をしているが、俺にはわかる。
「いいから寝てろ。元気になったらまた焼きそば作ってやるから。」
 俺にはそれぐらいしかできない。あとは……こいつの家族でいてやるくらいだろう。
 一人ぼっちのときに風邪をひいたときの孤独感は相当こたえる。それだけでずいぶん気が滅入ってしまう。誰かがそばにいるだけで、それだけで薬よりも効果がある。……俺が証人だ。
 風の額に手を置く、まだだいぶ熱い。
「風味……。」
 寝床から俺を見つめながら風はか細い声で言った。
「なんだ?」
「ありがとう。」
「……いいよ、べつに。」
 
四日目。
 おかしい。風の熱は下がるどころか上がっている。なにか風邪ではない病気にかかったのか?
「はぁ……はぁ……ごほ……。風味ぃ……。」
「苦しいのか?大丈夫か?どうしてほしい?」
「ごほっ!!」
 顔を赤くし、息を荒げ、苦しそうにしている風を目の前に俺はただ狼狽しているだけだった。
「救急車を呼ぶべきか?」
 ……風は作られた人間だ。医療機関に掛かったらいろいろ面倒くさいことになるに違いない。
 そうなってしまったら、俺と風の暮らしに平安はもう訪れないだろう……。
「くそっ!!」
 床を思い切り殴りつける。……俺は無力なのか?
「風味……悪くない。明日には治る。」
 消えそうな声に何もできない……風の手を握って少しでも温かくなるように……。
 気付いたらまどろみは確かな眠りに変わってしまっていた。
 
 風……。
 俺に突然増えた家族。
最初は厄介なことに巻き込まれたな……そう思った。
どんどん考えは変わった。可愛い妹……それ以上。
風邪が目を覚まして病気も治っていたら……はっきり伝えよう。
朝……そこに風はいなかった。
洗面所の方から物音がする……風邪治ったのか?
 しばらくすると、音が止んでぺたぺたという足音。
「おはよう、風味。」
 廊下の方から顔をだした風はすっかり元気そうで安心した。
「風……大丈夫なのか?体の方は。」
「うん。元気。」
「よかった……。お前に何かあったら俺は……。」
 風はうなだれる俺の前に座り、そっと俺に抱きついた。
「ワタシはどこにもいかないよ。」
 風はそこにいた。ちょっと手が冷たかった……顔でも洗ってたのだろう。でも、確かにそこに風の体温を感じた。……伝えなくても風はとっくにわかっているのだろう。
「そうだな。」
「ぐー。」
 風の腹の虫が鳴いた。それに自分で気づいたのか、風は顔を少し赤くした。
「今飯を作ってやるよ。全く心配させやがって。」
「うん。」
 風はどたばたと布団をたたんで片付け始めた。俺は食パンをトースターにぶちこむ。
「またトースト。」
 風がぼそりと言った。
「文句を言うようになったのか?居候の分際で。」
「芸がない。」
「うるせぇよ、とっととマーガリン塗って食え!」
 焼きあがったトーストを投げつける。風はこの程度造作なくキャッチして食い始めた。
「今日から俺は学校だが、お前一日中家にいるぐらいならバイト探せよ。俺の財布もいい加減悲鳴を上げてるんだ。」
「昼間は外で遊んでる。」
「遊ぶって……何して遊んでるんだよ?」
 風に限ってゲーセンとかショッピングとかではないだろう。
「公園。ハトいっぱいいる。」
 こいつ……いい歳の女の子が公園でハトと戯れてるのかよ。……それはそれで可愛いかもしれない。
「バイト……どうやって探すの?」
「足で稼ぐのが一番だな。……つってもお前履歴書書けないよなぁ……。奇特な店でもあれば別なんだが。」
「探してみる。」
 などと朝の会話をしているうちに時間が来た。
「じゃ、俺は行くぞ。晩飯は適当に食え。」
「いってらっさい。」
 なんかちょっと不安だ。
 
 そんなこんなで一日が過ぎた。バイトの仲間にケーキを貰ったので持って帰る。風はどうせ無表情でもぐもぐやるだろうけど。
「ただいま……なんだかすっごい甘い匂いがするんだが。」
「お帰り、風味。」
 ぺたぺたと玄関まで風が出てくる。……こいつって靴下履かないけど、足冷えないのか?
「……何なんだこの甘い匂いは。」
「ケーキ貰った。店長さんに。」
「なんだお前、バイト見つかったのか?」
「喫茶店。」
 探せばあるもんだな。
 居間に行くと、チョコレートケーキがどかりとおかれていた。これって誕生日とかのパーティに食うやつだろ?
「……なんだか、上の飾り付けのクリームがいびつなんだが?」
 よくみると、風の口元には茶色いクリームが付いている。
「ワタシはたべてない。」
 嘘つけ、眼が泳いでるぞ。
「いじわる。」
 それにしてもでかいな……こんなにケーキ食べたら腹が痛くなるな。
「なんだか誕生日みたいだな。」
「風味の?」
「俺の誕生日は4月だ。まだまだ先だよ。」
「ワタシの?」
「ん?……じゃあそう言うことにするか。誕生日おめでとう、風。」
「えへへ……。」
 無表情でえへへと言われてもなぁ。
「俺からの誕生日プレゼントは……ケーキだ。悪いな。」
「甘いものはベルバラ。」
「別腹だろ?」
「パンがなければケーキを食べればいい。」
「どこのアントワネットだ。」
 そう言うと風はテーブルの前に座り、俺をじっと見つめてきた。
「今切ってやるよ。……全部食う気か?」
「うむ。」
 こいつ……体重とか気にしないのか。
 前にこいつにお姫様だっこをせがまれたとき、恐ろしく軽かったが……まぁいいか。
 
 さすがにケーキを食いすぎた。口の中が甘ったるくてしょうがない。
「ごちそうさま。」
 風はそう言って食器をキッチンに片付け始めた。
「俺はもう動けない……。食器其のままにしといていいからな。」
 なんだか、食べたら眠くなってきた。面倒くさいからこのまま寝ちまうか……風が何か言ってる気がするけど……ダメだ、眠い……。ぐぅ。
 俺はそのままテーブルの横で寝てしまった。
五日目
 案の定、というかなんと言うか、風邪をひいた。こたつで寝るのはよくないってのは本当だな。
 頭が痛い、喉が痛い、熱もある、俺、死ぬ……。
「風味、ばか。ねぎ食べるといい。」
 風がムスッとした表情で俺の額に濡れたタオルをのせる。その顔は「それみたことか」と言ったような感じだな。
「うるせぇ……ゲホゲホ……俺は……ゴホッ!!」
 しゃべるのもつらい。
「黙って寝てる。これ、飲むといい。」
 俺が昨日買ってきた風邪薬を差し出した。人のふり見てわがふり直せ……うぅ、耳が痛い。
「ぐぇぇ……苦い。俺、粉薬苦手なんだよ。畜生……。」
「おこさま。やーい。」
「元気だったら殴ってるところだ。」
 もうだめだ。熱で体動かすのもつらい。
「……よくよく考えてみれば、これってお前に風邪をうつされたってことだな。」
 風はぴくんと反応した。
「バイト行ってくる。風味は寝ている。じゃ。」
「てめぇ!!」
 風は喫茶店のバイトとやらに出かけて行った。……荷物も持たないで。
「ま、いいか。寝させてもらおう。」
 俺はそのまま深い眠りへと落ちて行った。ここのところ爆睡というものをしていないような気がする。
 
「なんていうかな、最近風の夢ばっかり見るんだよ。」
 台所で今日の晩飯のおでんの具の大根を切っているお袋に話しかける。
「風ちゃんのこと、気になるからなんじゃないの?」
「ち、ちげーよ!お袋、馬鹿も休み休み言ってくれよ。」
 お袋がこちらに振り向き、にやりと笑いながら話を続けた。
「母さんはあんた以上にあんたのこと知っているんだよ?伊達にあんたの母さんやってないってことだよ。」
「ちぇ。お袋はどう思うよ?風のことをさ。」
 包丁を置けばいいのに小脇に抱えながらお袋は続けている。
「そうだねぇ。いいお嫁さんになるんじゃないかな?」
「お袋に聞いた俺が馬鹿だった。」
「でも、風ちゃんにはあんたしかいないんじゃないかな?」
「……どういうことだよ。」
「あんたが思っているより、風ちゃんはあんたのことを……。」
「ただいまー。」
 玄関がひらいて、風が帰ってきた。猫を抱えて。
 
「ねこぉ!?」
 半日寝ただけで俺の風邪は吹き飛んだ。いや、むしろ風が連れてきた猫に驚き、どこかへ行ってしまったというのがただしいな。
「飼いたい。」
「だめだ。」
「なんで?」
「お前なぁ……。」
 いいか?まずここはペット禁止の賃貸アパートだ。それに猫だって生き物なんだから身の回りのことをやらなきゃいけない。トイレとか、食い物とか、その他もろもろの躾をやらなきゃならない。幸いまだ仔猫みたいだが、確実にお前より早く死ぬ。それをみとる覚悟があるのか?途中で飽きたじゃ済ませらんないんだぞ?第一俺は猫に嫌われるんだ!俺は猫好きなんだ!!俺がすり寄るといっつも逃げてしまうんだ!!!なんでだ!俺があんなになでてやっているというのに!!!!!うんたらかんたら。
「風味おかしい。猫怖がってる。」
 ……すまん、暑くなりすぎた。
「怖いお兄ちゃんだね〜。お姉ちゃんといっしょに遊ぼうね〜。」
 なんだか饒舌になってないか、こいつ。
「そんなことないよぉ〜。にゃ〜。」
 こいつって無機物系少女じゃなかったのか?……頭が痛くなってきた。まだ風邪薬残ってたかなぁ……?
「ともかく、駄目なものはダメだ。俺が代わりに飼い主探してくるから我慢しろ。」
「……だったら、店長さんに言う。あの人も猫好き。」
「それなら話が早い。……そうだな、名前ぐらいつけてやったらどうだ?」
「なまえ……。ネコ。」
「……おまえなぁ……。人にヒトってつけてんのと同じだぞそれ。自分の名前が人だなんて嫌だろ。」
「でも、自分の○ケモンに名前つけないトレーナーもいる。」
「いいんだよサ○シは。」
「よくない。風味の言っていることそう言うこと。」
「○レビ東京に文句言えってのか!?」
「……猫の名前、『ふー』にする。」
 風にしちゃあいい名前だ。可愛いなぁ猫……。俺も将来猫を飼いたいなぁ。
 そんなこんなで一日がまた過ぎていった。
 猫はしっかり、逃げていた……もったいないな。
六日目
 珍しく風の腹の音でおきない朝だった。
俺が目を覚ますと、風は窓から空を眺めていた。
「ん……おはよう、風味。」
 俺の気配に気づいたのか、こちらを向いて相変わらずの無表情で朝の挨拶を口にした。
「おぅ……珍しいな、朝飯をねだらないの。」
「自分で作った。風味も食べる?」
 体を起こしてテーブルの上を見ると、焼きたてのトーストが置かれ、コーヒーが湯気を立てていた。
「今日はどうしたんだ?」
「どうもしない。それにしてもいい朝。」
 なんだか、風の様子がおかしいような気がする。……嫌な予感ではなく、むしろいい予感というか……。俺にはこの感情を表現する語彙がないな。
「食べないの?」
「食うよ。」
 まぁ、トーストの味は普通だった。トーストなんて誰が焼いても同じだし。コーヒーもインスタントだから差して変わり映えしない。
「おいしい?」
「ん……まぁな。」
 そつのない返事を返したせいか、風の表情が曇った気がして、俺はすぐに言いなおした。
「うまいよ。」
「そう。」
 そう言うと風は服を脱ぎ始めた。……もう慣れた。バイトにでも行くんだろ。
「お前はいい加減に服の着替えの場所を考えろ!」
「風味になら見られても平気。」
 ……なんだか、胸にチクリと来たぞ?
「う、後ろ向いてるからとっとと着換えろ!!」
「別に気を使わなくていい。……見たいなら見ても平気、かな。」
「いや、別にそういうわけじゃない!!」
「そう?」
「そうだ!!」
 風はもそもそといつものセーラー服に着替えて炬燵の前に座った。
「まだ時間ある。」
「ん……そうか。俺も今日は休みだ。創立記念日で。」
 風はじっと俺を見てきた。……なんだよ?
「ずる休み?」
「本当に休みだよ。」
「怪しい。」
「本当だよ!そこに転がってるシラバス見てみろ!」
「……本当だ。ごめん。」
 まぁ……さすがに最近さぼりすぎてるかもな……俺もまじめにやろう……。
「風味、今日はいえにいる?」
「まぁな。掃除でもするよ。」
「ワタシの私物触ったら怒る。」
「お前の私物、日記と服と定規しかないじゃないか。」
「……そうだった。」
 くだらない話をしているうちに時間が来たらしく風はすくっと立ち上がって玄関へぺたぺたと歩いて行った。
「お前、靴下くらいはけよ?足冷えるだろ。」
「大丈夫。……風味はそっちの方が好き?」
「ん……まぁな。でも生足も……って俺は何言ってるんだよ?」
「変な風味。寝てるといい。」
「うるせぇ!とっとと行け!!寄り道すんなよ!」
「じゃ、行ってくる。」
 ……荷物持たずに行っちまいやがった。
 しかし、変なことばっかり言うなぁ……バイト先で変な言葉吹き込まれてるんじゃないだろうか?
 考えたって始まらないか……。
 しかし、手持無沙汰だ。もう掃除を始めてしまおう。
 物置代わりの押入れから掃除機をひっぱりだす。……すっげえ埃、掃除する道具が掃除されてちゃあ世話がない。掃除機はやめた。
 そもそも、俺は機械が苦手だ。今どきパソコンもろくに扱えない。
 あんなこと言われたが、風のスペースを掃除しよう。
 ……意外とというか、やはりというか、きれいに片付いている。前に風にやったミカン箱の上に日記が置いてある……。
 俺は迷わずに風の日記を読んだ。俺を外道と呼びたければ呼べばいい。
 どうも……俺と出会った日からつけてたみたいだな……いつの間に。
≪……、変な男に会った。オトウサンとどこか同じ匂いがする。もう、つかれたな……しばらく、この人と一緒にいよう。≫
 ……日記では普通の口調なんだな。
≪風味、変な名前。でも、なんだか優しくしてくれる。赤の他人であるワタシにご飯と寝床をくれる……申し訳ないけど、ワタシには何もできない……。この恩はいつかきちんと返さないとなぁ……。≫
 ……そんなこと考えなくてもいいのに。
≪オトウサンの本を風味が持ってきた。オトウサン……どこにいるのかな。会いたくないと言ったらウソだよね……。でも、ワタシには風味がいてくれる……。オトウサン、ワタシどうしたらいいかな?≫
 やっぱり、親には会いたいよなぁ……俺の親父もどこで何してるやら。
≪今日は風味に服を買ってもらった。嬉しい。風味はワタシのこと、ただの居候って見てたわけじゃないんだと思うとよけいにうれしいな。≫
 あの服、着てるとこ見たの一回しかないな。……よそいきの服ってやつか。
≪風邪ひいた……苦しいよ……日記つける暇があったら寝てた方がいいかな……。≫
 馬鹿だろ?
≪最近、風味がお財布を覗いてため息ばかりついてる。ただでさえ一人暮らしでお金がないのに、ワタシが居候してるから、余計に出費がかさむんだろな。アルバイトしようにも……ワタシ、戸籍も持ってないしな……どこか奇特な店でもないかな?≫
 あいつなりに考えてたのか。
 ……日記はここまでしか書いてないな。……?一番最後に何か走り書きがあるな。
≪風味、好きだよ……でも、ワタシには言えないよ……。ここに書き続けるしかできないなんて……ワタシ……ダメな子……。面と向って思いを打ち明けるとか、できたら楽なのにな……。≫
 
―夕方―
 俺は帰ってきた風に思いを打ち明けた。
「ふぁ!?」
 なんだか変な声を上げて風は顔を真っ赤にして頭から湯気を出して壊れてしまった。
 気絶した風を布団に寝かせて晩飯の用意をする。
 打ち明けたところで俺と風の生活はなんら変わらない。変わるかもしれないがそれは、徐々に起きていくこと。
 一日二日ですぐには変わらない。
 ゆっくりと話をつないで行こうじゃないか。俺たちにはまだ時間がある。
 
「風味……何書いてるの?」
「ん?日記だよ。お前と出会った日からの日記。」
「そう?」
「さてと、もう寝るか。」
「へ?ま、まだ心の準備が……。」
「ば、ばか!そう言う意味じゃねえよ!」
「そう?ならいいんだけど……。」
「いいからとっとと自分のスペースに戻れ!」
「うん。おやすみ、風味。」
「あぁ、おやすみ。」
 明日もまた同じ一日。
 こいつといっしょに同じ一日。
 だから今日は……もう寝る。
 
 
≪執筆後記≫
 とりあえず、第二部完です。また春にでも再開すると思います。
 この二人の話はまだ終わらないです。新たな出会いでもあることでしょう……。 
 
ここまで読んでくれたあなたに最大の感謝を……。
 
 
 
 
 
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