……今再び、物語は動き出す。
 
 それは一人の少女と一人の青年のお話。
  
一日目。
 
 「ただいま。」
 扉を開けながら帰りの挨拶をする。
 時刻は午後四時過ぎ、今日はアルバイトがないので家にまっすぐ帰ってきた。
「おかえりなさい。」
 薄暗い室内から陶器のように白い肌をして、セーラー服を着た少女が出てきて俺を出迎えた。
「ただいま……風。」
 この少女の名前は風。とある理由から俺と一緒に暮らしている。
「風味、元気ない。疲れてるの?」
 風味っていうのが俺の名前。俺もこんな名前嫌だね。名づけてくれたお袋には悪いがそのうち改名するつもりだ。
「俺はいつでも疲れてるんだよ。……悪い……ちょっとだけ寝かせてくれ。」
 俺はそう言って居間に大の字に寝転ぶ。居間と言っても、ワンルームなので部屋はここだけなのだが。
「風味、邪魔。」
「邪魔って言ったってなぁ、ここは俺の家だぞ?居候がそんなこと言えた身分かな?」
「いじわる。」
 風はものすごく寂しい目をして俺を見つめてくる。…その目はやめてくれ。
「あぁーそれと非常に言いにくいが、見えてるぞ?」
 俺は仰向けで風は立ったまま……俺の視界がとらえているものと言ったら決まっているだろう?
「……風味のえっち。」
 きゃーきゃー騒いで飛びのくなり、かくすなり、俺をひっぱたくなりするのが、女子高生の反応としては正しいのだろうが、どうもこの娘は羞恥心がないらしい。今だに脱衣所で服を脱ぐことを覚えてくれない。
 風はそう言うと、俺の脇にぺたりと座りこみ、俺の顔を覗き込んでいる。こいつは俺に何かをしてほしいときにこうして無言で俺を見つめる。髪の毛が俺にかかってくすぐったいったらない。
「……寝かせてくれって言っただろ?一時間だけでいいんだ。」
「……。」
「……。」
 二つの赤い目が俺を見つめる。血のような赤。最初に会った時はその赤にぞっとしたが、いまはもう何も感じない。
 「ぐー」と何かのなる音。風の腹の虫の鳴く音だというのがすぐに分かった。この娘は毎日同じ時間に腹の虫が鳴くらしい。おかげで大まかな時間がわかるからちょっとした時計代わりになっている。朝起きられるのはこいつのおかげだと言っても過言ではないが、毎日顔をのぞきこまれるので少々ならずとも気分は良くない。
「戸棚にあんぱん入っているだろ。」
「もう、ない。」
 食いやがったな。
「……我慢できないのか?」
「うん。」
 寝ようとしていた体を動かすのは相当にきつい。体中の関節がポキポキと音を立てる。
 重たい体を引きずり台所に立つ。後ろには風が立って俺を見つめている。
「ぁーだりぃ。やきそばしかないぞ。それでいいか?」
「やきそば。」
 そう言うと風はてくてくと歩いて居間のテーブルの前に座った。……手伝えよ。
 だが、こいつは何を言っても、「そう。」としか言わない。馬耳東風……まったく。
 じゅうじゅうとやきそばを調理しているのを知ってか知らずか、風は俺の本棚の本を読んでいる。以前にいかがわしい本を平然と読んでいたときは俺の方がビビった。
 その時はさんざんだった。風に本の内容で質問されまくり、ある種の羞恥プレイのようなものを味わえた。
 俺と風はいやらしい関係じゃない。恋人でもなければ兄妹でもない。……一つ言えるのはお互いがお互いを必要としている。それだけ…なのかもしれない。
話は数か月前にさかのぼる。
俺がバイト帰りに風に襲われたのだ。文字どおりに風は俺のことを殺そうとした。
体は血で汚れ、目は濁りきっていた。捨てられた犬でももっとまともだと思う。
そのあといろいろあって、いまでは俺の家で居候をしている。……食費が馬鹿にならないのだが。
 二人分の焼きそばを居間までもっていく。置くが早いか風はもくもくと食べ始める。
「……そんなに腹減ってたのか?」
「おいしい。」
「聞いているのは、味じゃねえ!!」
 
 食器ぐらい片付けるのを手伝ってくれてもいいと思う。ただ流しに運ぶだけなのに、風は食べ終えるとじっと俺を見つめるだけだ。……まるで空気でも食ってるような気分になるからやめてほしい。
 俺は食器を洗いながら、居間のテレビをぼけぇっと見つめる風に話しかけた。
「お前、他に食べたい物とかないのか?やきそばだけで本当にいいのか?」
 ここのところやきそばばかり食べている。俺の昼飯は学食だが、風は俺が作り置きしておいたやきそばを昼飯にしている。一日のうち二食がやきそばばかりであきないのだろうか?
「……。」
 風はうつろな目でこっちを見つめるとぽつりと言った。
「スパゲッティ……食べたい。」
 ……ずいぶんとまぁ、高尚なモノを要求するな。
「あー、どんなスパゲッティが食べたいんだ?」
「どんな?」
 風は首をかしげて俺を見つめる。お前が言ったことなのだが……。
 どうも、本から拾った情報で、いろんな味があることを知らないみたいだ。
「ミートソースでいいか?お財布がそれ以上は厳しいって言っているからな。」
「みーとそーす。」
 風はそういうとテレビに向きなおって、またぼぉっと見つめている。……それでいいってことなんだな。明日の帰り道に麺とレトルトのソースでも買ってこよう。
 食器をあらかた片付け、かごに放り込んで風の正面に座る。こいつは横顔も白いな。銀と言うよりは白に近い髪の毛はつやつやしている。性格とその髪の毛さえなければ美少女だよなぁ……。
「なぁ、風。お前、友達とかいたのか?学校行ってたんだろう?」
 風はこちらを向くと俺を見つめる。
「ともだち?」
「一緒にだべったり、飯食ったり、馬鹿やったりしてたやつだよ。……これは俺の場合だけどな。」
 自分で言って苦笑いする。
「いない。ご飯、いつも一人で食べてた。」
 ……悪いことを聞いたな。
「でも、いまはちがう。風味がいるから。」
「ははは!俺はお前の友達か?」
 風のほっぺたをつねってやる。何も言わずにほっぺたを伸ばされている風の顔が間抜けで、俺は思わず吹き出してしまった。
「俺はお前の家族だ。友達以上だよ。」
 ほっぺたに跡が残っているが、まぁいいか。
「変な風味。」
「お前に言われたくない。」
 俺は笑い声を上げる。こいつが笑った顔も見てみたいもんだな……。
「……風、お前はオシャレとかしたくないのか?いっつもセーラー服だし。」
「おしゃれ?ワタシ、おしゃれじゃない?」
「ん〜。世間一般的な意味で言うとおしゃれとは言い難いな。」
 髪の毛はとかしてないものだからボサボサ(最初は地面につくほど長かったが、鬱陶しいので美容院で肩で揃えてもらった。美容師にやたらめったら質問しまくり、俺はずっと冷や汗をかいていた。)だし、服はセーラー服。私物は黒い本だけ。
 年頃の女の子としては正直どうかと思う。
「いけないこと?」
「そういうわけじゃあないよ。別にそのまんまでもいいけど……。」
 家の中でずっと本を読んでいる生活が楽しいとは思わない。外に出て、季節の変化を風に感じてほしい。
「風味はおしゃれ?」
「俺はどうでもいいの!……そうだな、明日買い物に行こう。お前の服を買いに。」
「服?おしゃれなふく。うん、わかった。」
 そういうとむくりと立ち上がっておもむろにスカートをおろした。
「脱衣所で脱げって言ってるだろうが!!」
「そう?」
「風呂に入るならそう言え!勘違いしちまうだろうが!」
「何の勘違い?」
「うるさい!とっとと風呂はいれ!」
 俺は無理やり風を脱衣所に叩き込んで、どかりと座った。……あいつの裸はみたくない……。
 白すぎる肌には無数の傷がある、服の下に隠れて見えないのが幸いだ。手術の後のようなものや、斬り傷、やけど……痛々しくて見ていられない。その傷を見るたびに、こいつは人造人間(ホムンクルス)なんだなと思ってしまう自分がいる。
 ……ふざけるな風味!風は、人間だ!俺の家族だ!
 むしゃくしゃしながら、どんな服を買いに行くのかを考えていた。……やっぱり清楚な感じかな?いやいや、むしろ派手な方がいいかもしれない。うむぅ、露出が多いのはいかん。ま、何をするにしろあいつの趣味次第だな。
「お風呂あがった。」
「おぅ。わかっ……。」
「風味?」
「服を着ろって言っているだろぉ!!」
 
 ともかく明日がちょっぴり楽しみだ。
二日目。
「ぐー。」
 いつもの音、誰かの視線。
「……おはよう、風。」
「おはよう。」
 俺の寝顔をじっと見つめるのはこいつの趣味なのか?
 今日も同じ時間に起きる。こいつの腹時計は何者よりも正確だ。休日なんだからもう少し寝かせてほしい。
 だが、俺の考えを知ってか知らずか、赤い二つの目は俺を視界にとらえつづけている。
「……どけ、起きられないじゃないか。」
「そう。」
 俺はむくりと起き上り、風を一瞥する。……下着の上にシャツ一枚と短パンか……そろそろ寝まきも買ってやらないとな。
「おなかすいた。」
「あのなぁ、少しは自分でやってみようって気はないのか?自分の飯くらい自分で作ってくれると俺は助かる。」
 風は黙って台所を指さした。……わかったよ、マイマスター……。
 と、いったものの、食材は無い。俺はそこそこ料理ができるが好きというわけじゃないので、安いと思ったものを買いだめするのだが……見事にすっきりさっぱりだ。
 風は腹が減ると何でも食う癖がある。前に昼飯を作り忘れた時にキャベツを丸ごとかじっていた。青虫でもそんなことはしないと思う。
 幸いというかなんと言うか……食パンが残っていた。つけるものは……おやつ代わりに風が舐めやがるせいで、ない。
「ぐー。」
「ほら、これでも齧ってろ。俺はいらないから。」
「いただきます。」
 そう言えば、こいつは肉料理を食べない。
 前にひき肉が安かった時にハンバーグを作って出したら、明らかな拒絶のまなざしで俺を見つめた。焼き肉はもちろん(俺だって滅多に食えない)、ソーセージにすら手を出さない。……好き嫌いはよくないから今度こっそり何かしてみるか。
「買い物に行くのに着る服がないな。……仕方ないな、セーラー服でいいだろ。」
「服……これじゃ、だめ?」
 さすがにそのよれよれTシャツとブカブカ短パンはないだろ。
「そう?おかね、大丈夫なの?」
「その心配をお前がする必要はないさ。大船に乗った気でいろ。」
「どろのふね。」
「殴るぞ。」
 やはりというかなんと言うか、食い終わるなり服を脱ぎ始めたことには驚いた。
 なんだかこいつ楽しんでないか?
「さて、行くか?」
「うん。」
 
 秋の空気はいささか冷たい。俺の上着を風にかけてやる。男ものだから結構ブカブカだ。
「あったかい。ありがと。」
「……おどろいたな、お前も寒いと思っていたのか?いっつも鈍感だから感じてないのかと思った。」
「しつれいな風味。」
 そう言うと風はてくてくと歩いて行ってしまった。
「怒ったのか?……ますます驚きだ。」
「おこった。」
「ごめんなさい。」
「わかれば、いい。」
 なんだか最近感情表現が豊かになってきている気がする……。
 
 俺は流行のファッションとかは興味がない。と、言うよりは余裕がない。ので、もっぱら古着かウニクロで済ませている。
 街中のいわゆる「流行りの店」に来てみた。俺なんかがいちゃいけなさそうな雰囲気だ。
 ドアを開けて入る。こじゃれた音楽とチャラチャラしたインテリアが俺の趣味にそぐわない。
「いっらしゃいませぇ?なにか、おさがしですかぁ?」
 店員じゃなければ俺は殴り飛ばすところだ。
「この娘に似合う服とか探してるんですが、この娘疎いもんで……お任せでなにか見繕ってやってください。」
「わぁかりましたぁ?」
 風はそのまま店内に拉致されていった。
 数分、流行について探ってみようと思ったのだが……読めない、何が流行っているかだなんてわからない!
「風味?」
「おぅ、早かったな……!!!?」
 ほんのり顔を赤くして立っていた風は、要するに「いまどきの女の子」の格好をさせられていた。
「ワタシなんだか、いや。」
 だろうな、俺も嫌だ。
 適当に断わりをつけて店を出る。あんまりにも店員が鬱陶しいので、唯一風が欲しがった帽子を買った。1000円て……。
「どうする?ウニクロでいいか?」
「うん。」
 俺が言う言葉を聞いてないな、こいつ。帽子をくるくる回して遊んでいる。
「気にいったのか?その帽子。」
「うん。」
「家の中でかぶったら俺がその帽子もらうからな?」
「わかった。」
 結局のところ、ウニクロで服を見つくろった。風には変に着飾るより、こういうおとなしい感じの服が似合う。……不覚にも俺は風をかわいいと思ってしまった。
 昼飯は……どうしようかな?……正直なところ、俺は食事に頓着は無い。食えればいい、という主婦の天敵だ。
「何か食べたいものあるか?」
 どうせ俺の顔をじっと見つめるだけで、腹の音を鳴らすだけだろうと思ったが、ちょっと違う反応が返ってきた。
「風味が食べたいものでいい。」
「それがないからお前に聞いたんだが?」
「……うどん。」
「お前、麺類好きだな。」
 それを聞いてむっとしたのか、そっぽを向いてしまった。
「わかったよ!あそこのうどん屋でなんか食おう。」
「そう。」
 道端のうどん屋に入って席に着く。お昼時とあってか、結構繁盛している。
「お冷をどうぞ。」
「どうも。」
 バイトさんがお冷を迅速に運んできた。ふむ、和風な制服がかわいいではないか。
「ご注文がお決まりになりましたらおよびくださいませ。」
 風はメニューをまじまじと見つめている。……さっきおかれたばかりなのに、お冷は既に空になっている。風の口がボリボリ言っているところを見ると、氷も食ったらしい。
「月見うどんってどんなの?」
「卵が乗っているうどんだよ。昼間だから俺は推奨しない。」
「じゃあ、これ。」
 俺も適当に盛りうどんを頼んだ。数分後、存外に早くうどんがきた。……しまった、大盛りにしておけばよかった。
「これは、なに?」
 テーブルの端に置いてあった七味を見つめながら目をぱちくりさせている。……ここで一つ姦計をしかけてみよう。
「魔法のスパイスだよ。かけるとうまみがぐっと増える。だまされたと思ってかけてみろ。」
「……。」
 なぜだか風はじとっとした眼で俺を睨みつけた。
「じゃあ、風味のうどんにかけてあげる。おいしくなる。」
 風は七味の瓶の蓋をあけ、俺の盛りうどんにかけまくりやがった。
「ぎゃー!!」
「めしあがれ。」
 こ、こいつ、わかっていてやったな!伊達に本ばかり読んでいるわけじゃないのか!
「嘘ついた罰。」
 風は涼しい顔をして自分のうどんをすすっている。……辛いぜ、まったく。のどはもちろんながら、胃まで辛い気がする。み、水を……。
 
 会計を済ませて外に出る。まだ日は高いし、夕飯の買い物をするにはちょっと早い気がする。
 風が家に来る前は休日は寝てばかりいたな。外はこんなにいい天気なのに。
「さ、て。どうするかな……。」
 俺の影に隠れるように立っている風はぼぉっと俺を見つめているだけだ。
「しゃあない。買い物に行って早めに帰ろう。」
「そう。」
 商店街で買う方が安いのは知っているが、いろいろな店を回るのが面倒くさい。ので、俺はもっぱらスーパーなマーケットを利用する。
 さすがに昼飯時も終わり、店員は暇そうにしている。
「バイト代出たばかりだし、お袋から小遣い多めに届いたし、拾った宝くじで一万円当たったから好きなもんかってやる。」
「これはなに?」
 特別上等なメロンをコンコン叩きながら俺に話しかけてきやがる。ひと玉……5000円?冗談はその生まれだけにしておけ、風。
「もっとかわいらしいものとか欲しがらないのか?チョコレートとか、流行りのお菓子とか。」
「じゃあ、これ食べたい。」
 ……『うまい!いか足!』?酒のつまみかよ。
「俺は下戸だ。」
「じゃあ、これ。」
 ……お前、よく素手で生魚つかめるな。サンマか、いいかもしれないな。安いし。
「よしわかった……袋に入れて持ってこい。」
 そう言いながら俺はインスタントヌードルを物色する。風の昼飯だからな。……おっと、リクエストの品も買って……と。
「これ、ほしい。」
 風はガムのボトルを持っている。こいつのことだ、勝ったが最後、一期に全部食うに違いない。
「却下。」
「……。」
 その寂しい目をやめろ!
「わかったよ、マイマスター。」
 心なしか風が笑ったような、そんな気がした。
  家に戻って一息つく。風はというと、袋の中からガムを取り出して早速くちゃくちゃやっている。
「ちゃんと紙に包んで捨てろよ?飲み込むと腹壊すから。」
「わふぁった。」
 眠い……寝かせてくれ。まだ二時だから……ちょっとだけ……昼寝だ。
 
「風味?」
「なんだよ。」
 風は俺に向きなおると、仰向けで転がっている俺に飛び乗った。
「ぐぇ!!なんだよ急に!」
「風味……。」
 風は俺の頬に手を当て、顔を徐々に近づける。少しずつ少しずつ、息がかかるくらいに。ミントの匂いがする。
「か、風?どうしたんだよ急に?」
「好き。」
「俺も好きだよ?家族だもんな。」
 風はふるふると首を振る。
「違う。」
 急に俺は声が出せなくなる。風が俺の口をふさいでいるせいだ。ガムの味がする……。
 
「んばぁぁぁ!!!」
 ……夢か。ちょっとこの先の展開も見てみたかったような……。
「風味?くちゃくちゃ。」
 ……風は目を丸くして俺を見ている。周囲には捨てたガムがうずたかく積もっている。
「なんでもない。……今何時だ?」
「五時。」
 いい具合に睡眠がとれて体が少々楽だが、昼寝というのはしたほうがだるいものだ。
「うぅぁぁぁ。」
 全身で伸びをし、関節を鳴らす。
「くちゃくちゃ。」
「お前なぁ、いい加減にしておけよ?もうガムないだろ。」
「ない。」
 噛んだガムで風船を作って遊んでいる。髪の毛にくっついても知らないぞ。
「……どれ、飯、つくるかぁ〜。」
 それにしても、俺は何て夢見てたんだよ。
 確かに風をそんな目で見たことはない。なんでだろう?自分でもよくわからないな。
 買い物の袋からパスタを取り出して鍋にぶちこむ。同時にソースを温める。
「なぁ、風。お前……俺のこと好きか?」
 風は「何を言っているんだ?」というような表情で俺を見つめている。その目を見つめ返してやると、頬を赤くし目をそらしてガム風船を膨らませた。
 今までにない反応だ。やはり、風は心を手に入れ始めているのだ。出会った頃は、人形のような感じだったというのに。
「好きなのか?はっきりしてくれ。」
「風味。いじわる。」
 後ろを向いてしまっているのでどんな顔をして言っているのかまではわからなかった。
「ま、いいよ。嫌いならそれでも。でも、俺はお前のこと好きだから。」
 本心ではない、かまを掛けたのだ。
「っ!?」
 風がびくんとしなったような気がするが、同時に麺がゆであがったのでそちらに気を取られてしまった。
 茹であがった麺にソースをかけて……簡単だが、量はある。何よりも風が食べたいといったものだしな。
「ほら、リクエストの品。スパゲッティだ。」
 テーブルの前に座っている風は大盛りミートソースを見ると眉をひそめた。
「赤い。」
「そりゃあそうだろ、ミートソースなんだから。」
 風は目をそらし、嫌悪の表情でふるふると肩を震わせている。
「…嫌。赤いの。」
 あの何でも食う風がはっきりとした拒絶を示した。
「理由でもあるのか?」
「血。赤い。……もう見たくない。」
 
……こいつは過去に何人もの命を絶っている。それが悪いことだとは知らなかった。風はただ、自らを作った人間の喜ぶ顔が見たかっただけだ。
 その人間に置いて行かれ、むやみやたらに人を……。
 出会ったときの風は全身を血で赤く汚し、赤い瞳には何も映していなかった。
「オトウサンに会いたい。」
 ただそれだけ。
 
「ごめんなさい。」
「……お前が謝ることじゃないよ。」
「せっかく作ってくれた。食べる。」
 目は涙に滲み、フォークを持つ手は震えている。
「無理するなよ。……俺が全部食う。お前はカップめんでも食ってろ。」
 風は立ち上がると台所でカップめんを作り始めた。
 
 前に風のオトウサンに会ったことがある。
 すでに死んでいるような空気をまとっていた。
 彼も風を生み出してしまったことにかなりの罪悪感を覚えていた。……だから逃げた。
 俺は……あの時ぶん殴っておけばよかったと思う。
「風は、お前に会いたがっている。」
「私は……風に会う資格がない。」
 
 二人分のミートソースは、俺には無理だった。
 俺には……何ができるって言うんだ。このまま、風に飯を食わせるだけか?そんな生活破たんするのなんか目に見えている。
 風にとって幸せなことって何なんだ?オトウサンに会ったところで以前の生活に戻るだけだ。俺と一緒にいて風は幸せなのか?
 いろんな考えが頭の中をぐるぐると廻っている。俺は……俺には何がしてやれるというのだ?
「風味?顔色が悪い。」
 風に肩をたたかれて気が付く。
「大丈夫?」
「あぁ……食いすぎただけだ。」
「もう寝た方がいい。」
「そうするよ。お休み。」
 風は自分の寝床に入るまでに何度も俺に振り向いた。「大丈夫か?」……そう言われているような気がしてならない。
 ……後片付けは起きてからでいいかな。
 
 夜、秋の夜に虫が鳴く。
「……じ。」
 何かが俺の耳に話しかける。……眠いんだ、寝かせてくれ。
「風味、起きて。」
「んぁ?なんだよ……腹でもへったのか?」
 風が俺の脇に正座して俺を見ている。
「風味、調子悪そう。」
「……そうでもないよ。」
「嘘。」
「……ちがわないさ。」
 風は俺の目の前に何かを差し出した。……これは栄養剤?
「元気出してほしいから。買ってきた。」
 よくよく見ると、昼間に買ってやった服を着ている。こいつは一人で買い物に行ってきたようだ。
「お前……。」
「飲んで。元気出して?明日もがんばる。」
「私のためにご飯を持って来いってか?ははは……。」
 風の表情が厳しくなる。
「冗談でも怒る。」
 こいつは本当に俺の心配をしていたようだ。皮肉を言ってしまったことに激しく後悔する。
「ごめんよ、風。」
「いい。飲んで。」
 栄養剤をぐいっとやる。妙な酸味と苦み、おまけにしょっぱかった。
「風味、変。なんで泣くの?」
 自分が情けない。風は俺と一緒にいたがっているというのに、くよくよと悩んでいた自分が……とても情けない。
 
 長い一日が終わった。
明日もまた長い一日だ。
 
 
 
 
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